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二度と会えないとわかっていても無性に会いたくなる

日常
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私は今、亡くなった姉に無性に会いたいのです。

上の姉とは、6歳違い、下の姉とは3歳違いです。

下の姉は、3年前乳がんで亡くなりました。

私の両親もまだ健在で肉親を亡くしたのは初めての経験でした。

亡くなったとき、覚悟はしていたことだけど味わったことのない感情を経験しました。

自分の分身が消えた感じ、大げさではなくそんな感じでした。

当分、何をするにも力が入らない、気づいたら涙が出ていたり、体が浮いてしまうのではないかという感覚にもなりました。

その頃、私も肺炎で2度目の入院をして心も体もボロボロになってしまっていました。

亡くなった姉とは、子供の頃はよく喧嘩をしていましたが大人になってからは、一緒に出掛けたりしていました。

ものすごく仲が良かったわけでもないです。

私が、県外に嫁いだので年に数回しか会うことはできませんでした。

姉が乳がんになったのは、8年ぐらい前だったと思います。

しこりがあることは本人気付いていたのに、大きくなってから乳腺科を受診したようでした。

そのときは、すでにリンパに転移している状態で抗がん剤でガンの部分を小さくしてからの手術となりました。

姉が乳がんになってから私がリウマチで肺炎で入院したり薬の副作用でしんどかったこともありLINEでやりとりをしていました。

それでも姉は、しんどいとか痛いとかのLINEを送ってくることはありませんでした。

いつも、「体調は、普通」って送ってきていました。

その後、骨に転移・・・

何種類もの抗がん剤治療をしていました。

そのたびに、副作用と戦っていたのですが、髪が抜けてしまったり、手先がしびれてしまったり、足先が化膿したり・・・

それでも姉は、弱音をはくことは一度もありませんでした。

それどころか、乳がんと戦いながら人形劇のボランティア活動をしていたのです。

昔から手先がとても器用で、副作用で手先がしびれているのに人形劇の人形を作っていたのです。

亡くなる数か月前に脳に転移をしてしまい、放射線治療をしているときも

「1か月後の人形劇には出たい」とLINEで送ってきていました。

その後、わけのわからない言葉になっていないLINEが送られてきときはびっくりしました。

脳転移のため、うまくスマホが打てなかったようなのです。

骨髄に転移してから、意識が混濁してしまい私は遠くても週に何日か高速を使ってお見舞いに行っていました。

最後にお見舞いに行ったとき、意識が戻っていました。私が帰るときに姉は

「気を付けて帰ってね」

私が最後に聞いた声でした。今で鮮明に覚えています。

人形劇にもう一度行きたいという姉の願いは叶いませんでした。

お葬式のときに、ボランティア仲間の方たちが

「これからも、お姉さんと一緒に人形劇をしていきますよ。作られた人形はたくさんありますから」

と言ってくださいました。

亡くなる半年前に、保育士になろうとしている私の娘にプレゼントをくれました。

エプロンシアターです。

保育士になった娘は、このエプロンシアターを使って保育をするときもあるそうです。

娘と一緒にお墓詣りをするときにいつも

「おばちゃん、まだいっぱい作ってほしかったよー」って娘が言います。

こうやって書いている途中も涙が止まりません。

亡くなって3年だけど、とんでもなく無性に会いたくなるときがあります。

ほんとに会いたい。。。

お正月、実家に帰ったときにお墓詣りに行ってきます。

 

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半世紀生きたあとは。